「この道」

北原白秋作詞・山田耕筰作曲

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲も(注)いつか見た雲
ああ そうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂(た)れてる



mahoroba

2009.06.14 Sun l 音楽 l COM(0) TB(0) l top ▲
家具を買おうと思っている。
選び抜いた。職業柄、詳しい。
値段も分かるつもりだし、よしあしも分かる。
自分の家の椅子は自分で直せる。
これでやっと、良い家具を買う自身もついた。

やはり、値段は相応だ。
良いものは良い。

良いものって、なんなのだろう。
2009.06.12 Fri l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
東京中央郵便局の保存問題が取りざたされている。
大臣と郵政との間の争点を単純化すると、
建築を全面保存するか、部分保存とするか、である。
では全面保存すればその価値は守られるのか。

東京中央郵便局が「トキ」であることで、両者は一致しているようだ。
そして現在進行している議論は「剥製がトキか」、「どんな剥製ならトキといえるのか」
、がテーマになっていると、私は感じる。

東京中央郵便局の建築的価値は
建築学会の嘆願書に詳しい。

自分の議論のために補足すると、
東京中央郵便局の建築の高度な価値のひとつは、物流・仕分け・事務・接客という複合要素を
機能的に纏め上げたことにある。単純なオフィスビルとは比較にならない複雑で関連しあう要素を適切にプランニングしてあることにある。また、その変化に対応すべく、大きな空間を用意したことも先見的であるといえる。

しかし、業務機能としてのこの建物を評価するのは、経済合理性だ。
評価する資格があるものは経営者・所有者である日本郵政しかいない。
そして、郵政は、この建物は機能的には無価値として、再開発計画を策定した。

「機能的であること」 が、デザインにまでなって価値を持っていた。
今、その「機能」に価値が無くなった。  
郵便局として高度に設計されたものだけに、いかなる保存を成されようとも、
郵便局でなくなってしまえば、それはひとつの死だ。
形を、たとえ全部残したとしても、魂は失われている。

東京中央郵便局は、もう「トキ」では無いと、郵政は断じて見せてはどうか。
どんな剥製にしましょうか、という議論を展開するのが、知的な議論になると考える。


価値は、価値を与える人間の認識によって生まれる。

価値認識は何によって生まれるか。
環境によって自然に身についた「美意識」、後天的に授けられた「教育」に
よると、大別できる。
「美意識」はえてして個人的で不確か、「教育」は権威的と、ある側面から強調されるが、
この両者をそれぞれ適切に交えながら各個人がそれぞれの価値認識を醸成できることが、
文化的、と言えることだと考える。

建築・都市・町並みについて考える時には、
「時代」という評価軸が「美」「教」の混合比に大きく影響を与える。

丸の内は明治初期に大名屋敷の一式を、岩崎家に下賜された処に始まる。
時は文明開化、三菱は馬場先門辺りの一角にレンガ作りの洋館を構え
一丁倫敦、といわれた。丸の内の建設は「レンガ作りの洋館」に象徴される、
西洋的意匠の高品質な建築物によって密度を高めていった。
重要文化財に指定された、明治生命館がその代表と言え、
また、今年、三菱によって忠実に再現された先述の三菱一号館こそが、
丸の内の歴史を体現していると言えるだろう。

東京中央郵便局の建築は、その中にあって清潔な、純白の「異彩」を放っている。
アカンサスやリブボールトを模した意匠はひとつも無く、
単純な、捉えようによっては退屈な、柱梁の比率によってデザインが構成されている。
この建物の竣工は1933年。先述の明治生命館よりも3年早い。
現存する1933年前後に竣工した建築物といえば、
アントニン・レーモンドによる聖路加国際病院旧病院棟 や
東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)、といった西洋建築を解釈した建築物が主流である中で、
東京中央郵便局のデザインが以下に先進的であったかは、理解されることと考える。


あの時代に、あの場所に、あのデザインが実現されたことは、奇跡と言っていい。
その奇跡を保存するならば、外観を、そとから1スパンを保存すればよい。
それが再建計画案のココロであろう。


設計者は吉田鉄郎。逓信省営繕課の建築家(インハウスアーキテクト)であった。
その時代の逓信省営繕課は、質の高い建築物を実際に建設できるチャンスが多いということから、
建築家志望の者にとって日本最高峰の職場であった。そして、その職場で最も尊敬された建築家の一人が吉田であった。  これは逓信省、つまり現在の日本郵政にとっては
貴重な栄光の歴史であるのだが、当の日本郵政にとっては興味の無いことのようだ。


日本郵政の戦略として必要なことは、
文化に対して高く評価し、自らの栄光の歴史を誇りとして示した上で、
その評価を、額面通りに表現した結果が、策定された計画案だと論ずることではないか。



2009.03.08 Sun l 建築 l COM(0) TB(0) l top ▲
010911:人間の土地‐2

去る9月11日、あの事件が起こった。サン・テグジュベリのような高潔な若者達の無数の犠牲の上に成立している飛行機が、あろうことか凶器として破壊と恐怖のために利用された。この事件については犯人探しや社会問題の分析の以前に、人類の発展と努力に突きつけられた悲劇と、僕には感じられた。20世紀は戦争と科学の時代であったと言われているが、その産物である都市と、スカイスクレーパーと、飛行機が、明確な悪意の元に灰燼に帰した。その行為は失われた命や物質のみならず、人類全体を冒涜する暴挙だ。

先述の書の新潮文庫版に有名なアニメーション監督である宮崎駿氏の「空のいけにえ」と題された後書がつけられている。

「人間のやることは凶暴すぎる。」で始まるこの一文は、飛行機の歴史がいかに若者の屍の上に築かれているかということを、出来事や統計を参照して語られる。飛行機を発明したライト兄弟はそれを軍隊に売り込むことに執心する。それから飛行機は兵器として戦争とともに進化し、伴って甚大な数の飛行士たちの命が大空に散ることになる。戦争が終わると飛行機と飛行士たちは新たな戦いを求めて、能力を輸送へと差し向ける。そこでもまた繰り返し危険が冒され、競争の名のもとに多くの命が落とされていく。こうした若者たちを氏は「大量輸送時代へ献げられたいけにえ」と語り、「飛行機の歴史は凶暴そのものである。」と続ける。

そして、この歴史に新たな暴挙が書き加えられた。

TVのニュースでは今日もアメリカによる報復攻撃の様子が映し出されている。イスラム教、キリスト教、パシュトゥン人、ウズベク人、原理主義、穏健派、いろいろな立場の人々の思惑が交錯し、結局は貧しい人々の命と安全を脅かされる。アメリカの大統領は「テロ組織VS国際社会と叫ぶ。一方では「アメリカVSイスラム」という図式を描く。それぞれが言い分を主張し、自分達の主張を積み重ねてお互いを省みることがない。高く積み上げて凌駕したものが勝つとでも言わんばかりだ。

ぼくは相互理解とは、教義やイデオロギーを「超えた」ところで行われるものだとは思わない。もっと根本の、第一段目で行われるものだ。その根っことはヒューマニティ、あるいは人道だと思う。

紹介した本の中で、その根本に触れている部分がある。サハラで遭難したサン・テグジュベリが命の限界まで消耗し尽くした果て、ついにアラビア人に救われる。著者が彼を救ったアラビア人に向けた言葉を引用して、まとめとしたい。

「さて、ぼくらを救ってくれたきみ、リビアの遊牧民よ、きみは永久に僕の記憶から消え去ってしまうだろう。ぼくには、きみの顔がどうしても思い出せなくなる。きみは〈人間〉だ、だからきみは、同時にあらゆる人間の顔をして、ぼくに現れる。きみは一度も、ぼくらの顔をしげしげと見つめはしなかった。そのくせきみは、ぼくらを見知ってくれた。きみは愛すべき同胞(はらから)だ。だからぼくの順番には、きみを、あらゆる人間の中に見知ろうと思う。

ぼくの目に、きみは気高さと親切に満ちあふれて映る。水を与える力を持った王者よ、あらゆるぼくの友が、あらゆるぼくの敵が、きみを通ってぼくの方へ向かってくる、ためにぼくにはもはや一人の敵もこの世界に存在しなくなる。」


2009.02.02 Mon l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
010911:人間の土地

9/11の前後で私たちに何が起こったかの、記録を残しておくべきなのではないだろうか。悲しいことながら21世紀の最初の年は、あの事件が起こった年として歴史に刻まれることになった。

あの事件が起こる直前に、僕は一冊の本を読み終えていた。サン・テグジュベリの「人間の土地」だ。飛行機が輸送手段として成熟しておらず、郵便物を運ぶ仕事がまだまだ挑戦の範囲であったころの出来事が綴られている。著者はその仕事の中で数々の冒険や危険に立ち向かう。アンデス山脈を越えてブエノスアイレスからサンチャゴへの空路を開発すべく飛び立ち、氷の中に墜落し奇跡の生還を果たした僚友のエピソード。砂漠に不時着し、乾きの極限を体験し、ついに遊牧民に救助された本人の体験。しかし彼が総体として描いたのはそうした単なる冒険談ではない。彼は、何のために危険を冒して飛行機に乗るのか、道を切り拓くのか、を冒頭に明言していた。

「ぼくは、アルゼンチンにおける自分の最初の夜間飛行の晩の景観を、今目の当たりに見る心地がする。・・・・あのともしびの一つ一つは、見わたすかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇蹟が存在することを示していた。・・・・・・・努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと心を通じあうことだ。」

彼の文章は終始高潔で、自らの選んだ職業への気高い満足感に溢れている。通読して感じたのは、機械の進歩に立ち会った〈人間〉が持つべき心構えであり、飛行機を例にとって描かれた尊いヒューマニティだった。

ぼくは久しぶりに大きな感動とともに一冊の本を読み終えていた。ぼくたちはいつも進化の途上にいる。物事を進化させ、より良いものを生み出そうと努力することはつまり、「あのともしびと心を通わせること。」であり、自分を高めることなのだと。変わらない繰り返しのように感じている毎日が突然活気に満ちて動き始めて見えるような、そんな気分にさせてくれる本だった。

これがいつもの感想文や紹介文だったらここまでで終わることが出来ようものを。

続く


2009.02.01 Sun l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲