東京中央郵便局の保存問題が取りざたされている。
大臣と郵政との間の争点を単純化すると、
建築を全面保存するか、部分保存とするか、である。
では全面保存すればその価値は守られるのか。
東京中央郵便局が「トキ」であることで、両者は一致しているようだ。
そして現在進行している議論は「剥製がトキか」、「どんな剥製ならトキといえるのか」
、がテーマになっていると、私は感じる。
東京中央郵便局の建築的価値は
建築学会の嘆願書に詳しい。
自分の議論のために補足すると、
東京中央郵便局の建築の高度な価値のひとつは、物流・仕分け・事務・接客という複合要素を
機能的に纏め上げたことにある。単純なオフィスビルとは比較にならない複雑で関連しあう要素を適切にプランニングしてあることにある。また、その変化に対応すべく、大きな空間を用意したことも先見的であるといえる。
しかし、業務機能としてのこの建物を評価するのは、経済合理性だ。
評価する資格があるものは経営者・所有者である日本郵政しかいない。
そして、郵政は、この建物は機能的には無価値として、再開発計画を策定した。
「機能的であること」 が、デザインにまでなって価値を持っていた。
今、その「機能」に価値が無くなった。
郵便局として高度に設計されたものだけに、いかなる保存を成されようとも、
郵便局でなくなってしまえば、それはひとつの死だ。
形を、たとえ全部残したとしても、魂は失われている。
東京中央郵便局は、もう「トキ」では無いと、郵政は断じて見せてはどうか。
どんな剥製にしましょうか、という議論を展開するのが、知的な議論になると考える。
価値は、価値を与える人間の認識によって生まれる。
価値認識は何によって生まれるか。
環境によって自然に身についた「美意識」、後天的に授けられた「教育」に
よると、大別できる。
「美意識」はえてして個人的で不確か、「教育」は権威的と、ある側面から強調されるが、
この両者をそれぞれ適切に交えながら各個人がそれぞれの価値認識を醸成できることが、
文化的、と言えることだと考える。
建築・都市・町並みについて考える時には、
「時代」という評価軸が「美」「教」の混合比に大きく影響を与える。
丸の内は明治初期に大名屋敷の一式を、岩崎家に下賜された処に始まる。
時は文明開化、三菱は馬場先門辺りの一角にレンガ作りの洋館を構え
一丁倫敦、といわれた。丸の内の建設は「レンガ作りの洋館」に象徴される、
西洋的意匠の高品質な建築物によって密度を高めていった。
重要文化財に指定された、明治生命館がその代表と言え、
また、今年、三菱によって忠実に再現された先述の三菱一号館こそが、
丸の内の歴史を体現していると言えるだろう。
東京中央郵便局の建築は、その中にあって清潔な、純白の「異彩」を放っている。
アカンサスやリブボールトを模した意匠はひとつも無く、
単純な、捉えようによっては退屈な、柱梁の比率によってデザインが構成されている。
この建物の竣工は1933年。先述の明治生命館よりも3年早い。
現存する1933年前後に竣工した建築物といえば、
アントニン・レーモンドによる聖路加国際病院旧病院棟 や
東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)、といった西洋建築を解釈した建築物が主流である中で、
東京中央郵便局のデザインが以下に先進的であったかは、理解されることと考える。
あの時代に、あの場所に、あのデザインが実現されたことは、奇跡と言っていい。
その奇跡を保存するならば、外観を、そとから1スパンを保存すればよい。
それが再建計画案のココロであろう。
設計者は吉田鉄郎。逓信省営繕課の建築家(インハウスアーキテクト)であった。
その時代の逓信省営繕課は、質の高い建築物を実際に建設できるチャンスが多いということから、
建築家志望の者にとって日本最高峰の職場であった。そして、その職場で最も尊敬された建築家の一人が吉田であった。 これは逓信省、つまり現在の日本郵政にとっては
貴重な栄光の歴史であるのだが、当の日本郵政にとっては興味の無いことのようだ。
日本郵政の戦略として必要なことは、
文化に対して高く評価し、自らの栄光の歴史を誇りとして示した上で、
その評価を、額面通りに表現した結果が、策定された計画案だと論ずることではないか。